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JAZZ in 四国(愛南町)実行委員秋事務局

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栗田敬子トリオ

with 情家みえ

栗田 敬子 KEIKO KURITA / PIANO, VOCAL

愛媛県松山市生まれ。愛媛大学教育学部特音卒業。在学中にジャズピアノに興味を持ち、卒業後、松山市内の「LOFT CLUB」にレギュラー出演。ここを訪れた多くの国内外のミュージシャンとセッションの経験を持つ。松山を拠点にライブ活動を始め、1983年故西村昭夫(TS)カルテットに参加、LP「MY SONG」を制作。1989年には、バークリー音楽大学夏期講習(浜松市)に参加。ゲーリー・バートン、小曽根真らの指導を受けた。1994年11月藤家虹二(CL)クインテットのメンバーとしてCD「スウィート・クリスマス・フォー・ラバーズ」にレコーディングに参加。BMGビクターより発売中。1995年10月ハイネケン・ジャズ・コンペティションに応募、上位9名での最終審査を受けた。入賞はできなかったが、それがきっかけとなり東京で定期的にライブ活動を始める。また、弘法大師空海の一生を音楽と声明で表現したコンサート「空と海」(1995年)や香川芸術フェスティバルオープニング公演(1996年)の作曲編曲を手がけた。しまなみ海道1999では今治ジャズタウンのプロデュースをするなど、ジャズイベント等の企画プロデュースも行っている。今治ジャズタウンには第1回目から毎年出演。現在、松山市内の「モンク」に隔週月曜日、毎水曜日、「グランクリュ」に隔週木曜日、出演の他、四国、東京都内のライブハウス等でライブ活動中。

河上 修 OSAMU KAWAKAMI / BASS

河上修、秋田県生まれ。16歳の時、音楽の世界へ。1974年渡辺貞夫カルテットでデビュー。翌年には日本代表として、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルへ出演、大好評を博す。師である渡辺貞夫からは、仕事よりも遊びをまじめにやる事の大切さを学ぶ。リーダーアルバムは「ジャンプ・フォー・ジョイ」、「ディア・オールド・グッドウィン」、「ミスター・ダブルベース」。ジャズの参加レコーディングは優に200を超える。ポップス、ニュー・ミュージックの人気アーティストのアルバムにも多数参加。その顔ぶれは、夏木マリ、クレモンティーヌ、中島美嘉、大江千里、稲垣潤一、コーザ・ノストラ、ムッシュかまやつ、和田アキ子、hiro、akiko、SMAP他、実に多彩な顔ぶれ。近年では自己のレーベルJAHJAHJAHrecordsの代表プロデューサーを務め、作曲、編曲も多数手掛けている。ピチカート・ファイブ小西康陽プロデュースの東京クーレストコンボのベーシストでもあり、映画では山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズの最後の作品まで20作余の音楽制作に参加している。

情家 みえ MIE JOKE/ VOCAL

愛媛県宇和島市出身。幼少時に父親の影響で音楽に親しむ。6歳よりピアノを始めると同時に、歌唱にも興味を抱き、声楽のレッスンを受ける。大学では幼児教育を専攻しクラシック音楽を学ぶが、間もなくジャズと出会い、徳島県内のホテルやクラブでジャズを歌い始める。大学卒業後、上京。南青山の老舗ジャズクラブBODY&SOULでスタッフとして勤務。ほどなく、同店オーナー関京子の勧めでデビュー。ピアニスト山本剛のライブレコーディングにも参加するなど、本格的に音楽活動を開始するも、3年で中断。2008年、復帰を決意し、ヴォーカリスト伊藤君子に師事。20092月、代々木NARU・ヴォーカルオーディションを機に活動を再開。現在、南青山BODY&SOUL・代々木NARU・六本木ALFIEを中心に、都内および全国のジャズクラブにて活動中。20149月、アルバム「MIE JOKÉ sings BALLADS and other love songs 」リリース。201511月、アルバム「Goodbye today」リリース。

 

森 剣治 KENJI MORI / T.SAX, S.SAX, CLARINET

1942115日京都市生まれ。東山高校卒業後、ジャズを志し安間徳治とソール・ノーツを経て名古屋のジャズ界のリーダー的存在であった和田直Gに参加。1966年に上京して、金井英人率いるキングス・ロア・オーケストラに入団。同グループの「オリジナル」のソロで注目を浴びた。一時、富樫雅彦4にも加入。もっとも尖端的なコンセプションを学びながら、アルトのプレイを発展させた。19716月、高柳昌行のニュー・ディレクション再編成を機に参加。同グループの「フリー・フォーム組曲」で前衛リード奏者としての地位を確立。その後再び名古屋に戻り自己のグループを組織。同地のジャズ・シーンの核として現在まで活躍している。アルバムでは、A面リーダーの「ソロ&トリオ」、テナー奏者として、明るく楽しい「ファイア・バード」、そして幻のグループ、ティー&カンパニーのアルバム「ドラゴン・ガーデン」でも大きくフィーチャーされている。