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森山威男・板橋文夫

スペシャルセッション

森山 威男 TAKEO MORIYAMA / DRUMS

1945年 山梨県勝沼市に生まれる。東京芸術大学打楽器科卒業。在学中より山下洋輔トリオに在籍、3度のヨーロッパツアーに参加。1975年、山下トリオを退団。1977年、自己のバンドを結成、日本国内はもとよりドイツ・イタリア・ソ連(現ロシア)での演奏も行う。1984年、ニュルンベルク「East-West Jazz Festival」での演奏がenjaレコードから発売される。1985年、病により演奏活動をほぼ停止し療養生活を送る。1989年、演奏活動再開。1994年、自己のグループでドイツ・イタリアツアーを敢行。2002年、第27回南里文雄賞、第35回ジャズ・ディスク大賞日本ジャズ賞、第56回文化芸術祭賞レコード部門優秀賞を受賞。2003年、George Garzone, Abraham Burtonを迎えての公演を行い、「A  LIVE  SUPREME」を制作。2007年、レギュラーメンバにてCD「Catch up !」とDVD「Live at ala」を発表。2010年、CD「Central Park」とMORIYAMA JAZZ NIGHT 2009の模様を収めたDVD「森山x山下」を発表。2011年は再度 George Garzone を迎えて国内ツアーを実施、その最終日を収めた「Dazzling」を発表。2014年には森山威男NONETによるDVD「楽しくなけりゃ意味ないね」と板橋文夫との「STRAIGHT TEDGE」を発表。また2001年からは在住である岐阜県可児市との共同企画で「MORIYAMA JAZZ NIGHT」を可児市文化創造センター大ホールにて毎年開催。毎回新たな趣向にチャレンジして、地元の文化活動にも貢献している。

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板橋 文夫 FUMIO ITABASHI / PIANO

国立音楽大在学中よりジャズ活動を始め、 1971年、渡辺貞夫クインテットでプロデビュー以降、日野皓正クインテット、森山威男カルテットを経て、自己のトリオで活躍。1982年ソロアルバム「わたらせ」を発表。同時に全国横断101ヶ所「渡良瀬一人旅」ツアーを敢行、全国的に注目を集め、話題になる。1984年には「板橋文夫ジャズ・オーケストラ」を結成。1985年からは、エルビン・ジョーンズ(Ds)や、レイ・アンダーソン(Tb)など、世界的なミュージシャンとのワールドツアーを成功させ、国際的な活動に入る。1990年代に入ると、アジアでの活動も広げ、韓国、インドネシア、タイ、香港などで「地球を救うコンサート」や「タイ国王継承50周年記念祭」のフェスティバルに招待されている。1993年には新事務所MIX DYNAMITEを設立し、ジャズと言うジャンルを超えて、邦楽家、詩人、画家、韓国のシャーマンなど様々なアーティストとの共演を積極的に開始する。映画音楽も多数手がけており、海外にも熱狂的なファンが多い。1997年、ニューヨーク・パリ・ローマ公演。199811月、パリ公演。19996月、ローマ公演。1999年シンフォニック・イン・ジャズで神奈川フィルハーモニー管弦楽団と共演し、ジャズピアノと管弦楽のための交響詩「渡良瀬」を初演、大きな話題を呼び、2001年に再演された。200107月、国際交流基金の助成で、約1ヶ月ブラジル、ケニア、セイシェルに公演旅行に出かけ、大成功を収める。その記録を自身で書き下ろしたフォトエッセイ「ジャンボ!オブリガード!」(CD付)と公演の収録ライブCD(ブラジル編、アフリカ編各2枚組)を発表。20021月、デンマークのジャズフェスティバルにソロで参加、計7ヶ所で演奏、大好評を博す。200310月、横濱ジャズプロムナードでは、ケニアで共演したリーダー、シュトゥ率いる「ギリヤマ・ダンス・トゥループ」(ダンサー6名、パーカッション4名)が初参加。板橋文夫オーケストラと共演、関内ホール大ホールの千人を越える観客を熱狂させた。2004年、10年ぶりに再会を果たしたアルトサックスの鬼才、林栄一と初のデュオアルバムをリリース、大きな話題を呼ぶ。翌 20056月には、デュオ第二弾を発表。20051月、“幻の名盤”と言われた1982年発表のソロアルバム「WATARASE」が初CD化。7月にはウルトラ・ヴァイヴより、「板橋文夫アンソロジー~WATARASE」(2枚組)がリリース。このアルバムに「交響詩「渡良瀬」~ピアノと民謡と管弦楽のための」が収録され、ヴォーカルヴァージョンが初めてCDで聴けると、話題を呼んでいる。10月、恒例の横濱ジャズプロムナードでは、スペイン在住の画家、堀越千秋氏が、関内大ホールで、板橋オーケストラのバックに巨大なカンバスを吊り下げて、演奏をききながら絵を描くという離れ業を披露、観客を驚かせた。2005年末から活動をはじめた、カルメン・マキ(Vo)・太田恵資(Vl)とのユニットで、2006年秋には関西、九州に、2007年秋には、東北、関西、九州と、ツアーを敢行、大好評を得ている。も決まっている。200710月には、このユニットでライブ録音したCD「時には母のない子のように2007」と、井野信義(B),小山彰太(Ds)とのミックスダイナマイト・トリオで、10年間続いた神戸市岩岡・木のホールでのライブ録音したCD、「Do Something!」の2枚を、同時にリリースした。

峰 厚介 KOSUKE MINE / T.SAX

194426日 東京生まれ。中学時代ブラスバンド部に入りクラリネットを吹き始める。17才頃にはクラリネットでバンドのアルバイトを始め、この頃よりアルトサックスも吹き始める。高校2年の頃、ジャズ喫茶でレコードを聴いたのがジャズとの出会いである。1963年にジャズバンドに入りジャズクラブで演奏を始め、1969年にピアニスト菊地雅章に見出され彼のバンドに入団、解散する1973年まで在籍する。1970年には初のリーダーアルバム「MINE」を発表する。この年スィングジャーナル誌の読者人気投票アルトサックス部門で渡辺貞夫に次ぐ第2位となり新人アルトプレイヤーとして注目を集める。1971年にはピアノのMal Waldronの日本公演及びライブレコーディングに参加、また菊地雅章とJoe Hendersonのコンサートにも参加する。この年よりテナーサックスも吹き始める。1973年菊地雅章バンド解散後、ニューヨークに渡り2年間滞在する。この期間にも一時帰国して、菊地雅章のコンサートに出演し、自己のアルバムレコーディングも行うなど活動を続ける。1975年帰国後すぐに自己のグループを結成して演奏活動を開始、1976年にはGil Evansオーケストラの日本公演にアルトプレイヤーとして参加する。1978年には本田竹広らとネイティブ・サンを結成しコンサート、アルバム制作(計8枚)など精力的な活動でジャズ・フュージョングループとして人気を博す。1983年同グループでサンパウロ(ブラジル)、モントルゥー(スイス)のジャズフェスティバルに出演、ニューヨークのクラブでもライブを行う。その後、板橋文夫、井野信義、村上 寛の3人と結成したFour Soundや富樫雅彦のJ.J Spiritsなどを経て1992年自己のリーダーグループ峰クィンテットを結成、1993年にはこのグループによる久々のリーダーアルバム「Major to Minor」を出しこの年のスィングジャーナル誌ジャズディスク大賞の日本ジャズ賞を受賞する。1996年には同グループでニューヨークのクラブ「バードランド」に出演、1997年には同グループ3枚目のアルバム「Balancez」を出す。現在、自己のグループ以外にも渋谷 毅オーケストラをはじめ数多くのセッションに参加している。2004年には渋谷 毅、林 栄一を迎えリーダー作「Rendezvous」を発表する。リーダーアルバム以外のレコーディングでは菊地雅章、Mal Waldron、渡辺貞夫、日野皓正、富樫雅彦、渋谷 毅オーケストラやNative Son,、Four Sounds などを含め40枚以上のセッションに参加している。

類家 心平 SHINPEI RUIKE / TRUMPET

青森県八戸市出身。ブラスバンドでトランペットに出会いマイルスデイヴィスに触れジャズに開眼する。高校卒業後海上自衛隊の音楽隊でトランペットを担当。自衛隊退官後2004年にSONYJAZZからジャムバンドグループ「urb」のメンバーとしてメジャーデビュー。「urb」の活動休止後に自身のユニット「類家心平 4 piece band」を主催。ファーストアルバム「DISTORTED GRACE」をリリース。2作目「Sector b」を菊地成孔プロデュースで2011年にリリース。2013年に3作目「4AM」をライヴレコーディングで制作。2014年にはピアニスト中嶋錠二とのデュエットによるアルバム「N.40」を発表。その他「菊地成孔ダブセクテット」、「DCPRG」、元「ビート・クルセイダース」のケイタイモ率いる「WUJA BIN BIN」や「LUNA SEA」のギタリストSUGIZOが率いるユニットにも参加。またジャズを題材としたアニメ「坂道のアポロン」では劇中のトランペットを担当するなど活躍の幅を広げている。


 

    水谷 浩章 HIROAKI MIZUTANI / BASS

    20歳の頃より音楽活動を開始。アコースティック・ベースを吉野弘志氏に師事。リーダー作として「LowBlow/カフェおじさん」、「phonolite/while i'm sleeping」、「phonolite trio and ensemble/My Heart Belongs to Daddy」、「phonolite/Still Crazy」。自主レーベル mizmzic より「うずらぎぬ」、「phonolite strings」をリリース。主な参加バンドは、松風鉱一カルテット 、今堀恒雄「Tipographica」、南博「Go There」、大友良英「NEW JAZZ QUINTET →(ONJE)→(ONJO)→(ONJT)」 、山下洋輔「4G Unit」、坂田明 Trio、芳垣安洋「EMERGENCY!」、津上研太「BOZO」等。現在は、自己のグループ「phonolite」(木管、金管、弦楽器を含む12人編成のジャズ・オーケストラ)、「phonolite trio」(中牟礼貞則g、外山明dとのトリオ)の他、「phonolite strings」(vla、vc、vc、cbのカルテット)では、柳原陽一郎、浜田真理子、原田郁子、青葉市子、柴草玲、さがゆき、高瀬"makoring"麻里子とのコラボレーションなど幅広い活動を展開している。

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